魂の輝きに

囀る鳥は羽ばたかない 6巻考察③「矢代に訪れた救いー目の前のありふれた光」

さてさて6巻で大きな転機を迎えた矢代について考察です。

「あいつ末期ガンの終末医療とかやってんのな」
不吉な表現にヒヤッとしましたが、これは”これまでの矢代”に終末が近づいているという描写だったようです。

終わらせたかった理由

「死にたいわけないじゃないですか 特に生きたいとも思ってませんけど」
「綺麗なものは汚したい 大事なものは傷つけたい 幸せなものは壊したい」

矢代の抱えている矛盾について、七原の口から「やめたくてもやめらんねぇ」「そうじゃねえもんもねじ曲げられてそうなるかもしんねえよな」と語られました。

セックスも痛みも、好きじゃないのに「好き」にしなければ生きられなかった。
本当は「そうじゃない」のに「ねじ曲げ」なければ成り立たない自分を成立させることに矢代は疲れていた。

救いとは何か

「頭もあいつに惚れてたら?」
「まっ…さかあ!だったらなんで覚えてない振りすんだよ」
「ですよねー」

病院で会話する七原と杉本に、影山のような「鈍さ」が強調して描写されているのは、「身内」の表現と考えられます。

義理の父親の強姦にはじまり実の母親のネグレクト、初めて好きになった影山を守るため極道に入ったのに当人全然気づいてなくて20年絶賛片思いの挙句恋のアシストまでするという、報われなさにも程があるだろなこれまでの矢代の人生。

でも曲がりなりにも生きてきたその人生の中で、矢代は影山、七原、杉本という身内を得て、百目鬼と出会えた。

救いとは具体的にもたらされる何かではなくて、曲がりなりにも生きてきた自分の人生を否定しなくていいこと。
家族に恵まれなかった矢代が、病院で七原たちのにぎやかで鬱陶しくもあり、当たり前のようにある身内の愛の中にいる姿は感無量でした。

おめでとう矢代。祝福とは、目の前のありふれた光。

親離れ子離れ

「囀る鳥は羽ばたかない」では主に親と子の概念や関係性に囚われて、さえずれども羽ばたかない鳥たちが描かれています。

6巻で「ないない組長とかメンドクセーし」と矢代は親の立場になる気はないことを明言。
一方「別のところで暫くなんかしてろって」と三角さんの子になりきるかどうかの判断は引き続き保留の立場を手にした。

「俺を切っちゃってくださいよ 平田みたいに」
三角さんに子離れを促すようなセリフを吐いた矢代ですが、本当に親離れをする決意があるのか。

親にとって「良い子」であるのが矢代の人生だったから。
このあたりが矢代の残り半分の仮面に関わってくるのかなと思います。
囀る鳥は羽ばたかない(6) (H&C Comics ihr HertZシリーズ)


(囀る鳥は羽ばたかない 6巻考察 終)